この言葉は誰しもが一度は聞いたことあるのではないでしょうか
実際その通りだと思います。
フィクション作品において最後の展開の面白さだけで高く評価されるような事態を見たことがあるでしょう。
今回はこのことについて書いていきます。
いつも通りゲームで考えてみましょう。
道中があまり良く言われてないのに
最後の展開がいいということで高く評価されている作品はいっぱいあると思います。
言うなれば終わりよければすべてよしゲーム
(よけばすてよしゲーム)
最後の展開が面白いということはそれだけの展開に持っていける土台があらかじめ形成されている場合が多いです。
そしたら、なぜ道中があまり評価されないのでしょうか。面白くなるだけの土台造りができるのに
評判が悪くなる理由はなぜでしょうか?
多くの作品の答えとして中だるみしてしまうことが挙げられます。
ゲーム内容が単調的•特に面白味がない作業的。
舞台設定などはしっかりしているのに話の展開が
平坦で盛り上がりに欠ける。
このような作品が避けバス手よしゲームになるのではないでしょうか。
まあでも、ゲームは比較的他の媒体に比べて
このような状態に捉えられにくいと思いますが。
理由としては、ゲームは基本的にプレイヤーが操作するため能動的です。
しかし、ドラマとか映画とかアニメとかは映像として流れてくる情報を受動的に享受するためです。
同じ道中の悪さでも自分で操作するゲームの方が
比較的マシになるのではないでしょうか。
そんなわけで避けバス🖐️ヨシゲームの話でした。